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【コラム】なんで女の子はいっしょにお風呂に入るのか?

AKBに限らず「女の子って不思議だな」と思った経験は、
男ならだれでも一度はあると思います。
ひとりの「女」としてではなくて、
「女の子たち」がもっている価値観は、
男性が共有するそれとはあきらかに異なっている。

ジェンダー論者のイヴ・K・セジウィックは、
同性間の社会的絆を「ホモソーシャル」という用語で表した。
よく誤解される「ホモセクシュアル(同性愛)」とはまったく異なる概念で、
男性においてはこの二つは明確に対立している。

ひとつ前のコラムで書いた「チーム男子」は、
『男性ばかりで構成され、何らかの目標に向かって努力するプロセスを通じて、
絆や信頼関係が築かれていく集団』であって、
高校球児や不良少年グループなどはすべて「ホモソーシャル」に含まれる。

そしてホモソーシャルな社会は「ホモセクシュアル」を明確に嫌悪する。
男だけの世界が成立するためには「自分は異性愛者で女にしか興味が無い」ことを、
つねに主張していなければならない。
同性愛者は安定した「ホモソーシャル」な共同体を内部から破壊させる忌避すべき存在である。
つまり「ホモソーシャル」と「ホモセクシュアル」はまったく別の概念として対立している。
同性愛者を嫌悪することを「ホモフォビア」と呼ぶ。
どんなに男同士の友情が育っても、
男同士で手を握ったり、キスしたり、いっしょに家庭用風呂に入ったりしないのは、
そこが「決して超えてはならない一線」だからだ。
「男には興味ない」という態度を常にお互いが示していないといけない。
だからホモソーシャルな集団ほど猥談を好む。

さて、セジウィックは、
女性においてはこの対立が「はるかに不完全であるし二項対立的でもない」
と指摘し、「途切れのない連続体を形成している」という。

つまり男性が「決して超えてはならない一線」として明確に設定する境界線を、
彼女たちはやすやすと超えてしまう。
男性においては完全に別個のカテゴリーとして分けられている世界は、
彼女たちにとっては「連続体」を形成している。
たとえば男同士で温泉は「アリ」だが家庭用風呂は完全に「ナシ」である。
腐女子がホモソーシャルな世界を容易にホモセクシュアルな物語に変換してしまうのも、
この連続性に起因しているのだと思う。

メンバーが手を握って歩いたり、カメラの前でキスしたり、
いっしょに風呂に入ったという話を聞いていると、
ひとりの男性として微笑ましいような、
また奇妙な気持ちになるのは私だけではないだろう。
『ヘビロテ』PVのようにたくさんの女の子たちが楽しそうにじゃれあってるのを見て、
男性同士ではとうてい出来ない女の子だけの特権的な世界に、
憧れを抱いている男性ファンも多いのではないだろうか。

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