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ロリータと「魅惑する研究生」

劇場でメンバーに魅了されることを「釣られる」というが、本人たちには「釣っている」自覚はあるのだろうか。山内鈴蘭は意識的に釣ってきている気がする。島崎遥香はおそらく意識してない。川栄李奈はまだその域にない。そもそも少女たちは自分がファンを「魅惑」していることにいつ気がつくのだろう?

アイドルファンを定義するのは難しいが、一般の人からロリコンと混同されてしまうことがある。少女に対して性愛を抱くという例のアレだが、これには疑問を呈しておきたい。アイドルは好きだがロリとはちょっとちがう。

ロリコンの代表として度々取り上げられるナボコフの小説『ロリータ』だが、巷に流布しているイメージとはすこし異なる。どちらかといえば「ピグマリオンコンプレックス」に近い。ピグマリオンコンプレックスとは、未熟で未完成な女性を自分の好みにあわせて仕立て上げ、それに対して愛着を抱く性向のことをいう。こちらのほうがアイドルおたくの志向に合っている気がする。「成長をいっしょに楽しむ」というコンセプトにも合っている(完全に肯定できないけど)。

『ロリータ』は、中年の大学教師ハンバート・ハンバートが12歳の少女ドロレス・ヘイズに恋に落ちるという悲劇から幕を開ける。ドロレスがしだいに魅力的な大人の女性になっていくのに比して、彼女に恋するハンバートはどんどん醜く衰えていく。ドロレスは自分がしだいに魅力的になっていくが、そのことには無自覚だ。愛を拒絶されたハンバートは、日に日に増していくドロレスの魅力に煩悶しやがて破滅していく。

上野千鶴子が指摘するように、この「魅惑」を彼女に付与する能力はもっぱら「男性」の側にあって、少女の側にはない。なぜならその「誘惑」の資源を少女は自分でコントロールすることができないから。少女はある時、自分が大人たちを魅惑する「悪い娘」であることに気付く。もしは気付いていない素振りで大人たちを狼狽させる。そしてしまいにはハンバートを完全に服従させてしまうのだ。少女によって破滅するというテーマはなにかしら現代を生きる自分にも重なるものがある。

アイドルは特に「ファンが育てる」という意識が強いが、あるときこの主従関係は逆転する瞬間がある。それは力をたくわえた奴隷が主人にとってかわるというヘーゲルの「主と僕」のたとえにも重なる。自分が育てていたと思っていた小娘が、いつのまにか自分の思惑をはるかにこえた魅力的な女性へと変貌していく。自分のもとを巣立って活躍しているメンバーを見ているとどこか寂しい気持ちがあるものだ。

これを研究生目線でみてみるとさらに面白い。

オーディションに受かりレッスンをおえたばかりの研究生は、AKB劇場でファンに暖かくむかえ入れられる。そこである時、少女たちは「魅惑する自分」に気付く瞬間があるのではないだろうか。繰り返すようだが、魅惑とは本人に内在するものではなくて他者から欲望されることで生まれる。たくさんの声援を浴びて、握手会の参加者もふえていくなかで、自分が他者を(「男を」とはあえて言わない)「魅惑する主体」であることに、少女たちはいっとき戸惑う。どうして自分を好いてくれているのか分からないからだ。若さなのか、ぎこちなさなのか、初々しさなのか。もしくは将来性か。ともかく自分が他者を魅惑していることをことを自覚し、それを能動的に発揮しはじめる時期というのがある。しかし、それはあくまで「無意識」を装わないといけない。男に媚を売りだしたとたん、それは魅惑でわなく「誘惑」になってしまうからだ。そこに「ぶりっ子」の限界がある。

しかしこの境界にこそ快楽がある。一見無自覚を装いながらもその仕草があまりに魅力的なため、そこに何かしらの「意図」を感じてしまう。たとえば不意に「ジュースひと口ちょうだい」といわれるような驚き。天然なのか意図的なのかわからないところに悪魔的な魅惑「アンコンシャスヒポクリット」がある。

そういう意味でやはり前田敦子はすごいと思う。自分の話し方や態度が他者を充分に魅惑していることに一見「気付いていない」素振りをしながらも、不意に悪魔的な「誘惑」の意図が見え隠れする。

以下はほとんど妄想なのだが、最近の研究生公演を見てみると9期生の山内は積極的に「釣り」にいってる。自分の魅力に自覚的だし、ファンが求めているものもわかっている。大場、島田、市川、横山あたりも自覚しはじめている。

自分が「魅惑する主体」であることにまだ無自覚だと思うのは竹内、阿部、入山。正規の小嶋陽菜や小森に近い印象だが、自分の魅力にはなんとなく気付きながらも積極的に活用する気がない小嶋たちよりも、より無自覚だ。11期生の多くはまだそこまでの余裕がない。

11期生のなかでは川栄李奈がちょうど「戸惑い」の段階にいるのではないか。つまり自分が「魅惑する主体」であることに気付き始めている。自分のどういう仕草、話し振りが他者を「魅惑」するのか、劇場公演を重ねるごとに成長している気がする。小嶋菜月あたりも近い印象。劇場でこういう成長を見ているのはほんと楽しい(ぜんぜん当たらないけどね)。

そして注目しているのは島崎遥香。「無意識の誘惑者」のイメージにもっとも近い。油断すればたちまち「釣られ」てしまうのではないかという悪魔的な魅力がある。ひょっとして「今の」前田敦子にいちばん似ているのは彼女なのかもしれない。




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