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【電影】『ミツバチの羽音と地球の回転』

鎌仲ひとみ監督のドキュメント映画『ミツバチの羽音と地球の回転』
http://888earth.net/index.html

山口県祝島(いわいしま)の原発建設計画に28年ものあいだ反対しつづけている住民たちを追ったドキュメントで、
今年3月の大震災以来注目を集めている映画。
ユーロスペースでやっていたのを見逃してしまったのだが、
たまたま一橋大学の兼松講堂で上映していた。
しかも500円。

日本の電力会社が電力を独占していて消費者に選択権がない、
という非常に根本的な問題を取り上げているのは好感がもてた。
日本のテレビ局、電力会社、携帯会社などは実質的に独占/寡占状態にあって、
新規参入できないという弊害がある。
いいところを突いていると思った。

映像もところどころ美しいし、
住民の飾らないことばも楽しいものとなっている。
しかし、その一方で、
あからさまに「原子力発電会社=悪」「素朴な島の住民=善」という構図を描きすぎていて、
まるでプロパガンダ映画のようだった。
Youtubeなどで喋っている姿を見るかぎり監督もかなり感情的な女性のようで、
電力会社への「怒り」を具現化するために、
都合のよい情報を集めてきているような印象も抱いた。
特にスウェーデンを手放しで賞賛しているのも気になる。
日本の教育研究者でもフィンランドの教育を大絶賛する人がいるけど、
こういう思想ありきのドキュメントをみるときにはけっこう注意していないと簡単にだまされる。
電力会社に怒りたくなるのもわかるのだが、
以前ブログにも書いた『いのちのたべかた』のように、
余計なナレーションを一切入れず、感情を誘導するようなBGMもなく、
ただ淡々と解体されていく牛を映していくようなドキュメントと対極にあると感じた。

あと、やたらと「多様性」を賞賛するのも胡散臭いと思った。

「どうして自然の多様性を守る必要があるのか?」
という鋭い質問に対して、
スウェーデンのエコエネルギー会社の人が
「人間が生きのびるため」
と答えていたのが印象的だった。

つっこみどころの多いドキュメントだが、
それでも、
祝島のお祭りのシーンはとても美しいし、
原発反対の先頭にたつ青年の姿は涙をさそうものだった。


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【アニメ】「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」感想③

第8話から最終話

物語は終幕に向けて一気に加速。
めんまを成仏させてやりたいというみんなの目的が一致して、
打ち上げ花火の制作にとりかかる。
めんまの成仏を願う気持ちと、めんまを失いたくない気持ちが仁太の心に葛藤を生む。
仁太の前にしか姿をみせないめんまに納得のいかない松雪、
いつまでもめんまに固執する仁太に失望する安城、
そして似たもの同士で接近していく松雪と安城に嫉妬する鶴見と、
感情はよりいっそう複雑にからみ合っていく。

打ち上げ花火は成功に終わったものの、
めんまはなぜだか成仏しない。
自分の都合だけでめんまを成仏させようとしていたことに気がついたメンバーは、
ようやく素直な気持ちをさらけ出すことができる。
鶴見が松雪対してずっと抱いていた恋心など、
これまで内に秘めていた感情がいっきに爆発する。
そしてようやくめんまの本当の願いが叶えられることになる……。

「打ち上げ花火」を背景にめんまが消えていくというシンプルなラストかと思わせておいて、
そう簡単には終わらない。
「ゆきあつ」や「つるこ」がはじめのクールな印象とずいぶんと変化し、
「超平和バスターズ」のメンバーが互いに本音を吐き出せるような関係になっていく。
「あの日」に言えなかった真実を吐き出していくことで、
ようやく仲間として成熟する。

「あの花」がちょっと特殊だな、と感じたのは
最近のアニメにしては恋愛をちゃんと描いていること。
恋愛だけじゃなくてメンバーに対する劣等感や嫉妬、プライドや優越感がとても繊細に描写されている。
それゆえに、めんまに対する思いも複雑なものになっていて、
最終話にむけてみんなの感情がなだれ込んでいく。

個人的に好きなのは「あなる」こと安城鳴子。
めんまに対する劣等感や「じんたん」への恋心、
「ゆきあつ」へのそっけない態度、
気の強い女性だが、
人間的な弱さをあわせもっていて、
とても魅力的に描かれている。

一般的に「フラット」な人格を与えられることの多いアニメの世界で、
「あの花」のキャラクターたちはみな、
いつくもの感情をあわせもつひとりの人間として造形されているように見える。
それが物語をよりいっそう面白くしている。

改めてもう一度見たいと思う傑作。


【アニメ】「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」感想②

はい、じゃあ内容について書いていきます。
まだ7話までしか見てないのでとりあえずの感想です。

子供の頃の秘密基地に集まっていた「超平和バスターズ」のメンバーたち6人。
しかし「めんま」が崖から落ちて死んだあの日から、
みんなバラバラになり、月日が流れみんな高校生になっている。
学校を休んで引きこもる宿海仁太(やどみじんた)の前にある日、
死んだはずの「めんま」が成長した姿で表れるところから物語はスタートする。
めんまがどうして現れたのか、
なぜ他のメンバーには見えないのか、
めんまがみんなに叶えて欲しい「願い」とはなんなのか。
すべての謎を残したまま物語は進行していく。

幼いころ死んだ女の子をめぐって展開するのだが、
めんまの明るくてトボケた性格のため物語のトーンはとても明るい。
「あの日」を境にばらばらになっていったメンバーが、
めんまの登場によって再び秘密基地に集まって、
それぞれの抱える問題が解決していく過程がとても丁寧に描かれている。

かつての「超平和バスターズ」のメンバーは、
今の生活にどこか不調和抱えて生きている。
仁太はひきこもりで、自分の一言がきっかけでめんまが死んだと思っている。
安城は友人関係が良好ではなく、自分の発言がきっかけでめんまが死んだと思っている。
松雪は仁太への劣等感を引きずりながら進学校にすすんだが、同じくめんまの死を自分のせいだと思っている。
鶴見はそんな松雪といつもいっしょにいることで女子たちに嫌われている。

これが町田智浩さんのよく言う物語の「セットアップ」というやつで、
ようするに今の現状にみんなが不満を抱えている。
その原因はもちろん「あの日」のことをみんなが今でも引きずって生きているからだ。
「めんま」が現れたことで物語がどう動き、
最終的には解決していくのかが見所。

それにしてもワンクールという短い時間のなかで、
キャラクターがとても繊細に描かれている。

「わすれてほしいけどわすれてほしくない」というめんまの矛盾した気持ち。
仁太に恋心を寄せる安城がめんまに対して抱いていたコンプレックス。
安城の前では学校とはちがった表情を見せる松雪。
そんな松雪のことをずっと気にかけている鶴見。
めんまの母親イレーヌが超平和バスターズのメンバーに向ける複雑な思い。
そして母親を亡くした仁太へのみんなの気持ちと、
さまざまな感情が複雑に交錯しながらも、
いつでも「あの日」に集約されていくことで調和している。
とくに七話の最後、イレーヌが発した一言で物語がぐっと深まり、魅力的なものになっている。

「現在」と「あの日」を行き来しながら進行していく物語というのは、
浦沢直樹『20世紀少年』やアーヴィングの『オーウェンの祈り』などにもみられる。
物語が進むにつれて忘れていた記憶が少しずつよみがえっていく。
「あの日」にいったい何があったのか、
決定的な真実が、
外部からもたらされるのではなく「忘れていた記憶」のなかから、
視聴者と一緒になって思い出していくというのがとても面白い。


つづく。

【アニメ】「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」感想①

今期の話題のアニメ「あの花」
制作は『おお振り』『かんなぎ』と作画に定評のあるA-1ピクチャーズ。
監督は『とらドラ』『とある科学』の長井監督。

最近はほとんどアニメを見ないので、
ほんとに年に数本だけアニメサイトでまとめて見てるのが習慣。

ほとんど知らない若手声優ばかり。

ヒロイン「めんま」役には茅野愛衣。
それほど特徴のある声ではないが独特の「ゆらぎ」がある。
『けいおん』の豊崎みたいに、一瞬声がぶれるという、最近になって出てきたテクニック。
幼くて愛らしいヒロインだが死んでいるという難しい役柄。

主人公には入野自由君。だれかと思ったら『千と千尋』のハク役だという。
役者を続けていたらしが、ずいぶん上手くなった。

安城鳴子には戸松遥。
こういう「元気娘」的な声質はウィスパーと並んで声優界の花形。
ちょっと前までは小清水亜美や井上麻里奈がやってたけど、
最近ではすっかり戸松が定着してしまった。
歌も歌えるし売り出しやすいのだろう。
『かんなぎ』のヒロインも悪くなかった。

鶴見知利子には早見沙織さん。
「ラブプラス」の人らしいがさっぱり知らない。
このあたりの声質は個性が出しにくいが、
学校での冷めた感じと幼馴染と会話するときの温度差がうまく演じわけられていた。

あと脇役だけど牧野由依が出ていた。
『NHKにようこそ!』の名演以来まったく姿を見なかったが、
ウィスパーボイスのなかでも一番好みの声。
能登麻美子様、牧野由依、後藤沙緒里などの甘くかすれた声は、
声優界でもっとも人気が集中する最激戦区でもある。
音声自体はそんなに難しくないから、
斎藤千和さんとか茅原実里みたいに起用な声優さんが演じることもある。
最近では花澤香菜がすべてかっさらってしまっている印象。


あと、
水島監督の『おお振り』など音に対するこだわりが特に強いA-1ピクチャーズ。
全編をとおして自然音が使われているのが素晴らしい。
「超平和バスターズ」の秘密基地の中にいても聞こえてくるヒグラシやスズムシの音、
電車の通過音、雑踏などが徹底して使われていて心地いい。
こういう細部へのこだわりが作品をより良質なものにしている。

「くるり」の亜流みたいなOPと、
狙いすぎた感もあるEDの「シークレットベース」
どちらもこの10年を象徴するような楽曲でわるくないと思った。
いまの高校生に馴染みのある曲なんだろう。


『あの花』の内容については次回。

【電影】蔡明亮『黒い眼のオペラ』~I don't want to sleep alone~

台湾の映画監督ツァイミンリャン(蔡明亮)の2006年の傑作『黒い眼のオペラ』

原題は『黒眼圏~I don't want to sleep alone~』

「西瓜」などビジュアルイメージの強い監督だったが、
マレーシアを舞台に繊細なストーリーを織り上げていく。

この映画には二人の傷ついた男がでてくる。
ひとりは賭けに負けてボコボコにされ街をさまよう男。
もうひとりは昏睡状態で母親に看病される男。
この二人の主人公をリー・カンションが一人二役で演じている。

ラジオからオペラが流れてくるなか眠り続ける男。
カーテン越しに差し込む光はこの作品をつらぬく
「救い」のテーマとして何度も作品のなかに表れる。

一文なしのホームレスとなった主人公シャオカンを介抱するのは、
黒い肌をしたアラブ系のラワンという男だ。
ぼろぼろになったシャオカンを、ラワンは恋人のように介抱する。
服を脱がせ、それを洗濯し、布団のシーツをかえ、シャオカンとおなじベッドで眠る。
ラワンは仕事のあいだもずっとシャオカンのことを考えている。
ラワンの献身によってシャオカンが癒されていく一方で、
シャオカンを看護することで徐々に心が満たされていくラワンの姿がある。

そしてもう一つの「救い」の物語はより悲劇的である。
昏睡状態となった息子を看護する母親は、
まったく反応しない息子の歯をみがき、頭を洗う。
その機械的な「介護」の姿は、両者に決定的な救済をもたらすことはない。
どちらも救われることがない、という物語がもうひとつのテーマとなる。
真の救済を必要としているのは、実は母親のほうなのだ。
母親は自分の息子に良く似たシャオカンと出会い、肉体的な救い求めるが上手くいかない。

この母親の経営する食堂で働くシャンチーという若い女性がいる。
母親に強制され、寝たきりの息子に性的な奉仕をするよう求められる。
そしてある日シャオカンと出会い互いに求め合うが、
街に漂う深い霧のために咳き込んでしまってうまくできない。

この作品には華人であるシャオカンから見た、
ふたつの他者による救済の姿が現れているようにおもう。
アラブ人男性というサイードのオリエンタリズムを具現化したようなラワンによる救済。
そして母親、シャンチーという女性による救済。
面白いのは女性による救済はどちらもことごとく失敗しているということだ。
シャオカンを唯一救うことができたのは、
心から尽くしてくれたアラブ人の男だけだった。

「傷ついた男」を救済する女性、という構図は、
ヘミングウェイの『武器よさらば』など多くの物語で見られる。
戦場で傷ついた男を癒すのは看護婦だ。
戦争という「男と男の戦い」で傷ついた男性のもとに現れて、
心も体も癒してくれる天使のような女というのは、
男性が抱く理想的な女性像のひとつの類型ではないだろうか。
女性はときに「歌」によって男たちを救ってきた。

この作品ではラワンが傷ついたシャオカンに対して、
献身的な愛を注ぐシーンがなによりも美しい。
灼熱のマレーシアで自然に上半身をあらわにしても、
そこにホモエロティックな印象はない。
ラワンは慎重にそれを回避するし、シャオカンも無関心を装う。
そこにはただ純粋に、「傷ついた男」に対するラカンの献身が描かれているだけだ。
しかしシャオカンは怪我が治ったとたんに若いシャンチーのもとに転がり込む。
消えたシャオカンを追ってきたラワンは、シャオカンの喉元に鋭利な刃をつきつける。
そして安堵したように涙を流し、三人ならんで眠るシーンで物語は終わる。


物語の後半で、街はとつぜん深い霧につつまれる。(ほんとうは山火事の煙だ)
その煙を吸い込まないように、みな布を巻いたり、ビニール袋を両耳にかける。
日本だったらすぐにコンビ二でマスクを買ってしまうが、
こうした身近にあるもので代用するという普遍的な知のあり方を、
レヴィストロースは「ブリコラージュ」と呼んだ。

ラワンが熱さましのためにシャオカンの額に乗せるのは氷袋ではなく、
緑色のジュースの入ったビニール袋だった。
怒り狂ってシャオカンの喉もとに突き立てられた刃は、
ナイフではなく空き缶の鋭利なふたである。

そして救いを求めながらも決定的な解決策にいたることなく、
身近にいる人物をつかのまの癒しをもたらしてくれるものとして代用していく姿もたまた、
「救済」をめぐる普遍的な知のあり方なのかもしれない。
~I don't want to sleep alone~という副題にあるように、
シャンチーが眠る前に枕元で照らす安物のクラゲのようなおもちゃもまた、
寂しさを紛らわすための束の間の代用品にすぎない。

プロフィール

ちょんつん

Author:ちょんつん
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