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【マンガ】押見修造『惡の花』感想②

惡の華(1) (少年マガジンKC)       惡の華(3) (少年マガジンコミックス)      惡の華(2) (少年マガジンコミックス)       



ずいぶん前に感想を書いたきりすっかり忘れていた『惡の花』
第四巻が出ていたので読んでみました。
とても素晴らしい内容となっております。

春日、佐伯さん、仲村さんの三角関係から始まった物語は、
佐伯さんの離脱によって二人の愛の物語へと変わりつつあります。
憧れていた佐伯さんとの恋愛を邪魔する悪魔のような存在であった仲村さんが、
春日と新たな「契約」を結ぶことによって、
怪しい主従関係へと移行していきます。

「仲村さんさえいなければすべてがうまくいくのに」というテーゼは、
やがて春日の悶々とした苦悩を経て、
「仲村さんの下ですべてが許される」というテーゼへと展開していきます。

みずからの変態を隠すことでひっそりと生きてきた春日は、
「仲村さんが笑ってくれるなら」どんな変態行為でさえ恐れないと決心します。
すべては「仲村さん」の笑顔のための手立てであり、
「仲村さんを喜ばせたい」という忠誠心から、
春日の変態性はより一層大胆にエスカレートしていくのです。

それは手段としての変態行為へと変わることを意味します。

仲村さんの発する「ど変態やろう」の一言は、
絶対主の言葉として、春日の全人格を肯定することになるのです。

<神がいなければすべてが許される>などと言うべきではない。
まさしく反対である。神とともに、すべてが道徳的に許される。
それも、美的に許されるのだ。こちらのほうがはるかに大切である。(Fベーコン)


仲村さんの正体は果たして神か悪魔か?

今後に注目です。
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【日記】忠臣蔵「赤穂四十七士」とAKBについて

『忠臣蔵-意地の系譜』

佐藤忠男さんの『忠臣蔵ー意地の系譜』という本を読んだ。

300年も前から日本人がくりかえし形を変えて語り継いできた忠臣蔵物語。
これを「意地」という視点から論じた書物。
文章も簡易で論理も明白。なによりも面白い。

元禄十四年(1701)に江戸城内で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野之(きらこうずけのすけ)に切り掛かる。理由は明確ではないが、物語では上司である吉良が浅野を虐めていたということになっている。しびれを切らした短気な浅野は、城内での無礼によって幕府から切腹を命じられ、彼の赤穂藩は取り潰しになる。家臣たちは失業する。翌年、赤穂の遺臣「47人」が吉良邸を襲撃し吉良を打ち取る。家臣たちは自首し、さらに翌年、幕府によって切腹を命じられる。

当時の人々はこの事件にずいぶんと衝撃を受けて、後代まで語り継ぐことになる。幕府はこれを匠に利用して忠臣蔵を「忠義」の物語に改竄してしまったが、実際には上司の失態によってみすみす失業した家臣たちに対する「同情」と、死を覚悟で討ち入りを決行した四十七士の「勇気」だった。忠義は封建制のなかでうまく利用されたあとづけ論理にすぎない。本来「人間がいかにして誇り高く名誉を重んじて生きるか」という武道哲学であったはずが、忠臣蔵以降の武士は「いかにして忠実な奴隷となるか」という思想に堕してしまった。しかし当時の人々が魅了されたのは決して「忠義」のものがたりではない。ではなにに魅了されたのか?その答えが「意地」である。


1963年にベトナムの僧侶たちが政府への抗議として焼身自殺を行った。また、2010年チュニジアでの民主化革命はおなじくひとりの青年の焼身自殺が発端だった。こうした"死の抗議"は「自分の正しさを証明したい」という根源的な衝動である。

例えば子供が親に怒られる。自分は間違っていないと信じているが、きちんと反論するだけの能力を子供は持ち合わせていない。「良い」と思っていた事を一方的に「悪い」と決めつけられたとき、子供は強情をはり、駄々をこねる。これが反抗の始まりであり、「意地」の始まりだ。全面的に自分を否定されたとき、たとえ一つでも自分が正しいことを証明するために「意地をはる」。日本にはこうした子供のダダに寛容な「甘え」の文化がある。そして日本の大衆文化のヒーローたちはみな「意地っ張り」だ。曲がった事が大嫌いで、短期で、自分の正しいと思うことに正直。これは日本に限らないが、とりわけ「甘え」文化のある日本では寛容なのだ。

さて、現代でも、強い権力によって差別を受け続ける人々がいる。彼らは権力者によって一方的に「間違っている」と決めつけられ、その反論の手段さえ奪われている。彼らがとる最後の手段が、自分の正しさを証明するための"死の抗議"なのだ。

こうした「意地」は誰にでも身に覚えがある感覚だろう。自分の存在が否定されて、反抗する手段すら剥奪されている時、なんとかして自分の正しさを立証したいと思う。相手を論破できれば良いのだが、たいていはその機会すら奪われていることが多い。四十七士は死を覚悟して、自分たちの正義を示すために意地を通した。それが人々の心を打ったということだ。

さらに「四十七人」で吉良邸に討ち入るという派手なパフォーマンスも、当時の人々を喜ばすのに申し分なかった。ただの「集団テロリズム」がこれほど美化されたのは、その視覚的な壮観さによるところが大きい。これが二人三人の討ち入りでは、ただの「異常な行動」だが、これほど大人数となるとそこに狂気ではなく理性が見出せる。戦前戦後の映画会社では「忠臣蔵」を作るというのは儀式的な意味をもっていた。つまり専属俳優の層が厚くなり、主役級スター級の役者を何人も並べることができるほど会社が大きくなったことの証しとして「忠臣蔵」が作成されていた。主役だけでなく、四十七人もの名のある役者がひとつの作品に出そろうというのはさぞや壮観だったろうが、やがてテレビの普及によって映画会社は衰退し、60年代以降はNHK大河ドラマに取って代わられることになる。現代のNHKドラマの豪華俳優陣を見ているとその感覚がわかると思う。

さて、わざわざ忠臣蔵を引き合いにだしたのは「赤穂四十七士」というのがどことなく「AKB48」に近いという単純な理由だけだったのだが、「忠臣蔵」が決して「忠義」の物語などではなく、自分たちの正しさを証明するための「意地」の物語であり、さらに「四十七士」という大人数のフルキャストで映画ファンたちを魅了してきた歴史的事実を鑑みると、あながち現代のAKB48と比較するのも的外れではないように思う。彼女たちのひたすら努力する姿には「意地」を感じるし(その目的が明白じゃないところもまた良い)なによりも大勢の少女たちがステージいっぱいに溢れかえる光景は壮観で、見るものを圧倒せずにはいない。この一人一人の物語を追うことができるのは、いくらでも物語を生産できる広大なネットのおかげなのだが、これはまた考えてみることにします。以上です。





サイード『知識人とは何か』

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)        中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか (ディスカヴァー携書)


加藤嘉一さんの『中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか』

「中国で最も有名な日本人」という触れ込みはあながち間違っていない。

言論統制を敷く中国では健全な世論環境をつくるために外国人の意見を活発にとりいれようという雰囲気がある。

加藤さんは中国メディア、ブログで積極的に発言する稀有な日本人のひとりだ。

すこし前から日本でも有名になった「バーリンホウ=八十年代生まれ」の日中比較、政治家と官僚の比較など、

中国でのフィールドワークをもとにした発言はとても説得力がある。

ただ日本の大学生のアルバイト事情や男女観、メディア論など荒っぽい主張が多い気もした。

まあ学術論文ではないので、エッセイとしてとても面白い内容だった。


読んでいてふとサイードの『知識人とは何か』を思い出した。


加藤さんのように強い発言力を持ちながらも権力に従属せず、

「漂白の知識人」として「周辺」にとどまるというのはとても勇気がいることだ。

本人は日中の架け橋として外務省に入りたいらしいが、

組織に入ることでアマチュアリズムが消し去られてしまうのは勿体ない気がした。

サイードはこう言ってる。

周辺では、これまで伝統的なものや心地よいものの境界を乗りこえた旅をしたことのない人間にはみえないものがかならずみえてくるはずである。

漂白の知識人が反応するのは、因習的なもののロジックではなくて、果敢に試みること、変化を代表すること、動き続けること、決して立ち止まらないことである。



ネットの発達によって、個人が特定の集団に属すことなく発言できるような環境が整備されてきた。

加藤さんはその象徴的な人だと思う。

サイードの言う「知識人」とは上記したように、ただのエリートを意味しない。

むしろまったく逆のものだ。

そして知識人の使命とは「常に努力すること、それも、どこまでいってもきりのない、またいつまでも不完全なものとならざるをえない努力を続けることだけだ」

三橋貴明『サムスン栄えて不幸になる韓国経済』

三橋貴明さんの『サムスン栄えて不幸になる韓国経済』

なにかとマスコミがもてはやす韓国経済のグローバル化をアメリカ、日本と比較しつつ分析した名著。

いまの日本経済がいかに「健全」かわかる。



韓国経済は90年代にいちど破綻してIMFが介入したことで「日本型」から「アメリカ型」にむりやり移行させられた。

韓国では家電メーカーはサムスンとLGの二企業しかなく、自動車では現代自動車が80%を占めている。

この国内市場の「寡占化」によって韓国企業は値段を釣り上げ利益を独占し、さらに国内労働者の実質賃金を切り下げることでグローバル市場を戦っている。

「グローバル」というと聞こえはいいが、要するに途上国の安価な人件費と熾烈な競争をしないといけないということだ。

韓国は輸出依存度が43%、輸入が38%とひじょうに高い。日本は輸出10%、アメリカも7,4%ほど。

グローバル市場では、輸出依存度が高い国ほど厳しい状況になる。

人件費の安い途上国との価格競争をしなければならないからだ。その結果国内の中小企業が苦しむことになる。

賃金は下がるし、商品は安くならない。

それが今の韓国だ。


日本は輸出依存度が低いことで、市場では健全な市場競争が維持され、消費者が得をする環境ができている。

「グローバル化する韓国企業を見倣おう!」なんていう人は両国の根本的な経済構造をなんにも理解していない。

日本人消費者の厳しい目にさらされて生き残ってきた日本企業の競争力を捨ててまで、はたしてグローバル化を進める意味があるのか。

日本は「研究開発費」の対GDP比率でずっと世界トップにいる。

健全な競争社会のなかで、高品質で安い製品がちゃんと消費者にとどけられるシステムが出来ているのだ。

グローバル化とか平成の開国とか耳障りだけは良いが、人件費30分の1のインドのような国と血みどろの価格競争をする意味がはたしてあるのだろうか。国民の利益を奪ってまで。

いまの日本がかかえる問題はデフレなのだから、政府はまっさきにデフレ対策をすればいい。

金融緩和と減税。




とはいいつつも、日本製品がサムスンやLGなどの韓国企業に欧米市場で押されてきているのも事実なのだ。

いまの円高ウォン安の状態では、韓国製品は常時半額セールを行っているようなもので、

これでは不利になるのも当然である。



そこで日本の経済界が推進しようとしているのがTPPである。

これがとんでもないくせ者なのだ。


TPPによって工業製品や農産物、サービスなどの関税が、2015年までにほぼ100%撤廃される。

これによってアメリカ市場での日本製品の不利が「ちょっと」は是正されるというわけだ。


マスコミがTPPを推進しようとしている理由がしだいにわかってくる。

日本の自動車メーカー、家電メーカーは高額の広告費をマスコミに払ってくれている「お得意様」だ。

マスコミがまっこうからTPPを批判できるはずがない。

日本では、新聞もテレビも大企業の言いなりなのだ。残念ながら。

そして民主党には大手企業の関係者がたくさんいる。鳩山→ブリジストン 岡田→イオングループ。

まあこれはいずれちゃんと書こう。




さて、TPPでもっと厄介なのはアメリカの「サービス」が入ってくるということだ。

これにはもちろん「金融サービス」や「医療サービス」をふくむ。



なんでもかんでも控訴する今のアメリカの「控訴社会」をおしすすめたのは「法律サービス」だ。

医師たちは消費者から控訴されるのを恐れて、バカ高い医療保険に入る。

だからアメリカの医療費はとてつもなく高い。

これは企業も同じで、弁護士は消費者と組んでアメリカの家電メーカーを軒並み控訴しつづけたから、

アメリカから家電メーカーが消滅してしまった。


今アメリカでは法律家がすごく余ってる。

そんなものがTPPで日本に入ってこようとしているのだ。



韓国経済というよりも日本経済と照らし合わせながら「資本主義」のありかたについて論じた良い本だった。




サムスン栄えて不幸になる韓国経済




『記者クラブ崩壊』感想

記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争 (小学館101新書)


フリージャーナリスト上杉隆さんの『記者クラブ崩壊』

OECD(経済協力開発機構)やEU議会から批判され続けている「記者クラブ」を批判した本。新書ですごく読みやすい。

日本のマスコミの「偏向報道」の元凶はもちろん記者クラブにあるのだけど、これだけコンパクトにまとまった本はあまり見ないのでとても参考になった。

日本の記者会見というのは「記者クラブ」に属する新聞記者しか入れず、週刊誌、海外メディア、フリーライターが入れない聖域になっている。そのため政党批判する記事がかけず、メディアはスクープを独占できるため官僚機構とメディア両方に利益がある。自由なジャーナリズムが疎外されている世界でも稀な「記者クラブ」制度。ちなみに韓国は2003年に「健全なジャーナリズム」のために記者クラブ制度を廃止している。

ボクは民主党支持ではまったく無いけれど、自民党が徹底して保護してきた「記者クラブ」制度を野党時代から批判し、会見をオープンにしてきたのが民主党。上杉さんもこの点を高く評価している。民主主義的なジャーナリズムのためには「記者クラブ」は廃止すべきで、それによって国民の洗脳も解けるというもの。

民主党が与党になったことで、岡田克也は外務省の記者会見を完全オープンにし、亀井氏が金融庁の記者会見をオープンにしたりと、日本の報道をより「健全な」形に誘導していったことは十分に評価できるだろう。しかし、「記者会見をすべてのメディアに開放する」といった鳩山由紀夫の公約はついに果たされることはなかった。肝心の中央官庁のオープン化は果たされず、上杉さんは失望とともにそれを「裏切り」と言っている。

「ジャーナリズムの最終的な役割は権力の監視にある」というのがすべての記者の使命だろう。記者クラブが官庁から集めてきた記事をそのまま新聞に書き、それをテレビが伝えるという日本のあり方はどうみても異常で、ネットの発達でようやく明るみにだされ始めた。

「記者クラブ」は「特オチ(自分の会社だけが特ダネをはずすこと)」を恐れて、官僚の発言を追求できない。そして、これもこの本で初めて知ったことなのだが、「この政権は近いうちに倒れると判断すると、今度は逆にどんどん厳しい質問をしろ、と社から号令がかかる」という。政権が傾きはじめた途端に、メディアが一斉にバッシングを始める理由はここにある。そんなメディアに踊らされているから日本の政権が安定しないのだなあと、いまさらながら納得。

ちなみに上杉さんは記者クラブ批判をしすぎたせいで10本あったテレビ出演がゼロになってしまったみたいです。ツイッターで記者会見をリアルタイム報道するという芸当をやってるんで、新しい報道の形になっていくかもしれません。ちなみにフォロワーは12万人いるみたいです。

とてもいい本でした。
プロフィール

ちょんつん

Author:ちょんつん
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